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万馬券にこだわるあなたのサイト

 

こんばんはニヤニヤHakuです。

 
 
いきなりですが。
 
 
今日の休憩中のおしゃべりのスタート地点は
 
2年後の病院移転で、「どうなるわたしたちの通勤手段」でした。
 
通勤手段→交通費満額支給希望→冬に遅番無理→辞める?→大金を手に入れてから→宝くじ→確率的に競馬か?→有馬記念
 
脱線につぐ脱線真顔通勤手段が有馬記念で勝った馬になったりしておいでニヤニヤないない
 
で。
なぜか最後は、わたしの終活の話しになりまして真顔いきなりですわ
 
え?え?え?就活だよね?滝汗ふつー、就活→婚活→終活でしょ?
と軌道修正を試みるも、そこは脱線せず真顔
 
まぁ大事ですケドね、終活も。。。
 
 
って‼️‼️
 
いやいやいや‼️
 
あっぶない‼️
 
なんで終活?いきなり?滝汗
 
 
あのね、わたしには
 
やりたいコトがあるの‼️
 
今、それに向かって頑張ってるの‼️
 
有馬記念万馬券‼️とか(それはそれでおいしいけれどにやり)言ってる場合じゃーないの‼️
 
わたしだけではなく
 
2年後の移転が、今この病院に携わっている人達全員の
 
大きなターニングポイントになるんだろうなぁ。。
 
と思ったところで休憩時間終了。
 
結局、スタートダッシュした女子のおしゃべりは、休む事無く走り続け、ゴールを果たさぬまま午後の勤務に突入したのでしたー。。
 
〜 婚活 〜
 
 
*先日、ある方から素敵なメッセージを頂きまして。
そのメッセージからイメージしたイラストを描かせて頂きました。
ちょ待てよ!誰が姫じゃい!と思われても、そこはかるく流して下さい。
 
 
Haku

 
 
 
 
 
 

2009年の十大万馬券関連ニュース

 
実は、もう1つブログを開設しています。
今回はそこで書いたことを以下に再掲します。
 
 
私の目標は、「究極の知」を探求することです。
それは、単なる学校で学ぶ知識ではない。
大学の授業の一般教養とも少し違います。
敢えて大風呂敷を広げて書けば、この世界のあらゆる事象を解明することに通底するもの、とでも言うのかな。
それは、現代の政治経済や社会現象の理解をはじめ、哲学や文学、詩にも通じる。
はては、地震予知や危機管理、競馬などのギャンブル、勝負事にも生かせる、ジャンルを問わない広範に及ぶ「知」です。
いわゆる教養は、常識的で社会生活を営む上での、穏やかで和やかな人格を涵養するための技法、いわゆる欧米流のジェントルマンになるための素養として、学ぶものですが、そんなお行儀のよいものは私の眼中には入っていません。
私は単に「本当のこと」が知りたいだけなのです。
ただ、価値相対化の時代にあって、「本当のこと」などない。
「真実」は人によって、その立場によって違う。
これは、押しつけがましく他人から「正義」や「真理」をとやかく説教されないことになり、ひとつには好ましい状態です。
しかし、同時に白黒決着をつけたいという欲求が心の中で頭をもたげてくることを抑えきれない。
私がギャンブル、特に競馬を好むのは、そういうことです。
勝ち負けの結果がすぐに出て、しかも金銭という数値で評価される。
自分が間違えたことに対して、一切言い訳は許されない。
こうした潔さに惹かれるのです。
 
最近の馬券の成績は極めて好調で、生涯で最高額の馬券を取りました。
馬券で勝つのは簡単です。
大枚をはたけばリターンも大きい。
このことに最近気がつきました。
何、当たり前のことを書いているの?
100円買うのと1万円買うのとでは、当然、払い戻し額も100倍違う。
この文章を読まれる方は、そう思われることでしょう。
そうではないのです。
100円を買う馬券予想と1万円、10万円買う馬券予想とでは、そもそも買う馬券の種類や内容が異なるのです。
競馬初心者のために書くと、馬券にはいくつか種類があります。
1着を当てる単勝、1~3着にまで入ればいい複勝、1・2着のペアを当てる馬連、1→2着の2頭を正確な順位で当てる馬単、1→2→3着の3頭を正確な順位で当てる3連単などです。
1000円の予算で買う場合と、10万円の予算で買う場合とでは、当然、買う馬券の種類や買い方が異なる。
たとえば、1000円の予算の人は1.5倍の複勝馬券だけを買わない。
一攫千金を狙って配当がつく単勝馬連馬単などを買う人が多い。
ただ、10頭以上の馬が走る競馬で1着馬を当てたり、1・2着のペアを当てたりするのは相当難しい。
だから、馬券を買っても当たらないことが多い。
これに対して、予算が10万円の人はその10万円を1.5倍の複勝にぶちこむ。
倍率は低いですが、当たれば15万円になり、差し引き5万の儲け。
わずか数分で5万円の利益は大きい。
もうひとつ例をあげまあす。
予算が千円の人が3連単を買うと、当然、最大で10通りの馬券しか変えない。
ところが、予算が10万円の人が18頭立ての競馬で軸を1頭だけ決めて、その馬から全ての組み合わせの馬券を買うと、816通りの馬券(馬券は1枚100円だから、8万1千6百円分)になります。
この軸馬に決めた馬が1~3着に入れば、馬券が当たり、ということになります。
3連単の配当は10万円以下の場合が多いので、当たってもたいていは損をする形になる。
ところが、自分の軸馬に加えて人気薄の馬2頭が1~3着に入ると、配当は10万円を超える場合がある。
ときには100万円や、めったにないですが1000万円台の馬券が飛び出すこともある。
宝くじよりは、よほど確率が高いことは間違いありません。
昨日の日曜日、牝馬(メスの馬)G1レース、ビクトリアマイルがありました。
最近、馬券が好調の私は3番のジュールポレール(7番人気)が3着以内に入るという予想を立てました。
結果は3着で、3連単は、1着(6番人気)→2着(11番人気)→3着ジュールポレール(7番人気)で決まって91万8千7百円という大穴配当となりました。
もし、上に書いたようにジュールポレールから全通り(816通り)、8万1千6百円分の馬券を100円ずつ買っていれば、差し引き83万7千1百円の儲けです。
100万円近い大金をわずか数分で手にすることができたわけです。
私は大金を手にしたか。
NOです。
昨日は馬券を買いませんでした。
理由は、怖くなったからです。
決して金持ちではない私が、1つのレースで数万円の大金を投じるには、大変な勇気がいります。
先日、2週連続で大穴馬券を的中したと書きましたが、このときも馬券に大金を投じました。
当時の心境は、勇気というよりも、一種の狂気に近いものでした。
馬券予想は直感が先で、次に緻密な理性的判断で実際の購入馬券の種類や金額を決めるのですが、自分の直感を信じ切るには、相当の胆力が必要になります。
「ある馬がくる」
こうした直感が降りてきて、予想を組み立て、実際に馬券を購入するまでの期間、そして馬券を買ってしまえば、予想が外れた場合の巨額の損失と精神的ショック、こうした不安に耐え、レース本番まで、ただただ自分の直感を信じ切る狂気を持続しなければならない。
これがとてもしんどい。
昨日のレースで91万馬券を買わなかったのは、負けたときの損失が大きいことに加え、自分をこうした狂気に晒すことが恐ろしいからという理由によります。
世間では競馬などのギャンブルはサラ金などの借金まみれになって危険だから、やるなとよく言います。
競馬愛好家の私は、もちろん借金はありませんが、怖いのは、借金よりも、このような狂気のほうです。
 
今回はわかりやすくギャンブルの例を引きましたが、「究極の知」は常に狂気と隣り合せになっている。
このことを言いたくて、私の競馬の体験談を書きました。
今後はたぶん馬券をあまり買わないと思います。
ギャンブルが道徳的によくない、という理由ではなく、やはり持続的な狂気の状態に自身を追い込むことに疲れたということのほうが大きい。
私は詩を書きますが、自分でもよい詩を書けたと思う瞬間は、やはりこのような狂気が支配しているように感じます。
最近、詩を書けなくなったのも、同じ理由によります。
 
……………………………………………………………………………………………………
 
ここからは、このブログ「相馬の梁山泊」の書き込み。
 
私がフェデラリストに出資したときの心境もまさにこの「狂気」でした。
非正規雇用で2つの仕事を掛け持ちしていました。
フェデラリストの1口馬代は、そのうちの1つの職場での1年間の収入に相当するものでした。
もし、まったく走らなければ、1年間ただ働きすることになります。
出資するときに競馬ともだちの友人に諫められました。
それでも、私は友人の忠告を無視して、出資に踏み切りました。
一生のうちに一度くらい狂ったことをしてみよう。
そう呟いたことをいま思い出します。
もし、フェデラリストが走っていなければ、私が社台・サンデーの会員をいままで続けていなかったでしょう。
それでも、私の出資馬は不調で、撤退の時期を考えているところまで追いこまれている現在、破滅の時期が少しだけ延びただけなのかもしれませんが。